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父を見送る その1 [いわゆる日記]

去る11月8日父が亡くなった。このブログでもその時の事をまとめておこうと思う。以前から肝臓癌、大腸癌を患っていた。癌としての最初の検査結果を聞くために実家のある岐阜市の市民病院へと赴いた際、副院長を勤めておられた温厚な先生が肝臓や大腸の絵を書きながら丁寧に説明してくださった。「転移がなければ大丈夫。ひとつひとつ取っていきますから」

それから9年、その間に四国や西国、板東のお遍路を何度もしたり、趣味の釣りにカメラにとアクティブに活動してた父。その間も各所にできたポリープを取りながら。最近の医療はすごいなあと感心していたが、さすがに昨年の今頃に入院。年内もどうか、と言われたがお正月には自宅で子供、孫、ひ孫も集合して過ごすことができ、その後の事も話し合う事ができた。夏には実家の商売も終了。取引先たる私の勤務先も盛大なお別れ会を開いてくれた。

そして10月25日(月)勤務先に姉からの電話。先週から具合が悪く入院しているがその日の朝から昏睡状態になったとのこと。とるものとりあえず実家へ。(その前に自宅から数日ぶんの着替えやその時のための礼服等をスーツケースで送る。当日19:30までに出せば翌朝8:30には実家近くの営業所で受け取れるそう、ヤマト運輸さんスゴイ)

その昔、電報で「チチキトク スグカエレ」なんてのをもらって病院へ駆けつけるシーンを映画やドラマで見たが自分が今、まさにそうなってることに実感がない。

夜8:30すぎに病院着。とりあえず病室へ。呼びかけるも意識がない。もう少し早く来るべきだったか、とも思うが今朝までは元気だったらしいからいかんともしがたい。先生いわく多臓器不全状態なので今日明日かもと。でも、そばについてるわけにもいかず実家へ次姉と戻る。

実家にて遺影となる写真やら一緒に棺にいれてあげる趣味の品々を整理。父は黄綬褒章をいただいておりその時の記念写真がいいのだが、本人がどこへどうしまったのか見つからない。さんざん探したが見つからず。まあ、若干微笑んだ別の写真があったのでこれをキープ。

翌日、長姉も合流。姉弟三人で病室へ。

するとあれれ、ベッドの上でむっくり起きた父が目を開けてこちらを見ているではないか。「誰が来てるかわかる?」と質問すると姉の名を、私の名を呼びぶ。なんという復活ぶり。腹水がたまってるため水分が1日500㎖に制限されているので何度も水をくれ、と声を上げてる。昨日の昏睡状態とは雲泥の差。

そういえばその週末の11/3に母方の兄弟会があり彼らと会うことが出来る。私の家族も、ひ孫もその日前後に来る予定をしていた。母曰く、そこまでがんばろうとしてるのでは。

ここまで復活するとは思わなかったのでその日は母をいったん自宅に帰し入浴、昼寝させる。夜は姉弟で父のその日の復活ぶりや子供の頃の思い出話をしながら楽しく食事ができた。

ここで水曜日。ここからはたんたんと日が過ぎる。病室の計測器の数字がじわりじわりと弱ってることを伝えるけど、今日明日はないんじゃないかと思い始めた。


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