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天命を知る・・・50回目の誕生日 [いわゆる日記]

拙ブログを始めたのは2004年の3月、ちょうど自分が40歳になったその日。四十にして惑わず、なんて題名で記事を書いている。あれから十年。本日をもって50歳となりました。

十年前の4月のブログを読み返してみました。サッカーの話題と身近のどうでもいい話題。まあ、今とほとんど同じですね。ジェフのスタッフに毒づいてたりねwww 40代を振り返ると、不惑という言葉が徐々にではありますがわかってきたかな、と。なったばかりは不惑なんて事とは程遠かったものの経験は重ねてみるもので段々と慌てなくなりました。むしろこの年でまだ経験してないことをする事に新鮮さや面白味を感ずるようになりました。40代最後の昨年末、父を亡くしたのも喪失感は有りましたが今となってはいい経験だったと思います。

そして今、50歳。孔子曰く、天命を知る、知命。これもなんとなくですがわかりかけてきた気がします。

ここ数年、私の仕事はそれまでの営業、マーケティングからサポートに軸足が移りました。(とはいえ、サポートを売るという意味では営業であり、マーケティングなのですが)

その中でこれまで自分の会社、部署、自分そのものの成績のために活動してきたのに対し、これからは世のため人のために働きたいと考えるようになってきたのです。そしてその結果として自分にも還ってくる。

これまで自分が主として扱っていたPCという製品がいかに難解な製品であったかを今になって感じています。融通無碍というとかっこいいですが一つの事をするのにもいくつものやり方があったりする道具、これは使う側には厄介なもんですよね。でもそういうものだからと割り切ってきた自分がいました。それがここ二年くらいで普通のお客さんの普通のニーズに接するにつれ、これじゃあいかんなあ、と思うようになりました。やり方はひとつ、覚える事は少なく、難しい言葉は使わない、、、そういうメソッドを今、作りかけています。

そういや、死んだオヤジが私の扱うPCを買ってくれて言ったのは「こいつはホントにわからん機械だな」ってこと。そん時は「だって仕方ないでしょ、こういうもんなんだから使い方覚えてよ」などと言ってました。昨年末、これから展開するサービスのヒアリングに訪れたとあるご家庭。ご夫妻は80代、娘さんが私と同い年。お父様が年賀状の作成と日記を書かれるために購入されたWin8のPCのサポート。「前のは使えてたのに、、、」「同じように使えればいいのに、、、」、とおっしゃる。ちょっとお身体は不自由なんだが一生懸命に私の指示を聞いてくださる。そのシチュエーションについ二ヶ月前に亡くなった父を思い出した。天命とはこういうことか。こうした方達にわかりやすく迷わないやり方を伝えたい。新しい事だからやらないと勿体無いとか、せっかくなんで使いましょうなんていうのは作り手の勝手な思い込みだと今さらながらに気づく。天命という言葉がほの見えたはそんな時。このお父様や娘さん、お孫さんが悩まず安心して使える、迷ったら任せられる誰か、そんなものを作りたいと。まだ自分に残された時間はあるな、とも。

このブログを10年後に読み返せるかは神のみぞ知る、ですが幸いにしてそうなったとしたら「10年前の俺、青臭いなあ」と思いそうです。でも未だ漠然とはしつつもこれから仕事の最後に自分がなすべき事がわかってきた、そんな50歳の誕生日です。


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