フクアリは遠かった の巻 ちばぎんカップ観戦記2 [Football]
激遅観戦記その2です。すみません。
おお、画像が並べられたり、こうやって右にテキストが配置できるようになりました。あ、観戦記とは全然関係ないですね。すみません。
試合は後半ジェフがCKから下村ヘッド→金沢君ちょっと触るで先制。後半ロスタイム4分も終わろうかという時点で同点にされてしまいました。リーグ戦ならここで試合終了ですが、今回はカップ戦、なんとPK戦で勝敗を決することになります。そしてPK戦はジェフが先攻。最初のキッカーはこの人、坂本。私も思わずゴール裏へ駆けつけました。
ありがとう!坂本!その後のキッカーたちはグダグダ。結局3-2でジェフが勝利。
ゴール裏は歓喜に包まれました。シアワセ。この5人は勝利のでんぐりしてくれました。
下村キャプテン!次回はちゃんとでんぐりよろしく。
ジェットスフィーンのお姉さんもこんな素敵な笑顔で喜んでくれてます。(サービスショットです)
いやあ、勝利っていいなあ、シアワセな気分の春の午後でした。
帰宅の途も強風の影響で迂回を余儀なくされて1時間半の道のりでしたが、トホホ。
フクアリは遠かった の巻 ちばぎんカップ観戦記1 [Football]
2/24(日)は第14回のちばぎんカップ@フクアリ。冬の間のサッカー成分欠乏症から回復できる日。13時キックオフの2時間前着をめがけて朝の10時過ぎに自宅出発。いつもなら、ここから小一時間でフクアリにつけるはず・・・ところが・・・この日は前日からの強風が吹き荒れています。風速にして20m超。ということはフクアリへのルートであるめっぽう風に弱いJR京葉線は?
出かけるときのJRのHPには遅延、運休の表示はなかったのですが・・・駅についたら、バス、タクシーを待つ人の列。運休です。ここからが遠かった、東京メトロ東西線浦安駅へタクシーをとばします。この駅でもいやな感じの人並み。あれれ、こちらも千葉方面への列車は途中駅で折り返し中。江戸川を渡らせてくれないのか。その場で駅員さんに相談して総武線方面へのルートを模索。生きている東西線の東京方面に乗り、門前仲町へ。ここで大江戸線にのりかえ両国から総武線緩行へ、というもの。なんだか相当な迂回ルートになりそうですが、もうこれしかない。大江戸線に乗って新ルート発見。森下駅から都営新宿線に乗れば急行本八幡行きがあります。
ちょっとスピードアップできそう。このあたりで12時近くなりました。キックオフまであと1時間。たどり着けるか?
そういえば、2005年の夏にも地震で京葉線ストップ。臨海競技場にたどり着けないことがありました。
ちょっとあの時の光景が頭をよぎります。
本八幡駅でJR総武線に乗り換え、駅ビル内を小走りにJR改札へ。あれ、ここも人だかり、とりあえずホームへ。電車は動いているようです。黄色い電車で快速停車駅の船橋まで。船橋からは快速千葉行きに。まずまず順調。
千葉駅では内房線に木更津行きに。よしっ順調に行けば12時半過ぎには蘇我駅に着けそう。さあ、蘇我着、と思ったその瞬間、列車は停止。蘇我駅5番線ホームに先行列車が停車中とのことで信号待ち。
「間もなく発車の予定です」
おいおい、いつになったら、発車するのさ?
歩いてフクアリ、ビールと食べ物くらいは買えそうな時間だったのに実際駅に到着したときには12:55。なんと自宅から2時間45分かかりました。
ここからは走りました。マラソンの練習しといてよかった。13:10くらいにはスタンドに。
試合はまだ0-0。
観客席はというと、あれ、結構入ってる。いつものSA自由1Fは満席。2Fも結構いっぱい、結局かなり上段に一席確保。
私の陣取った席の周りにもたくさんいらしたんですが、この日はサッカー関係者とおぼしき方多数。皆さん、紙とペンをお持ちになりながら試合を見ています。ちょっと覗かせてもらいました。
用紙には サッカー3級・4級審判員更新講習会(観戦) と言う文字が、ちょっと千葉県サッカー協会のページを拝見。
3級、4級というと中学、小学年代の毎週、子ども達がお世話になってるコーチ兼審判の方達ですね。主審の動きや気になる
ポイントをメモられています。彼らの目に今日のジェフ、レイソルの動きはどう映ったでしょうか。
次世代DVDについて思う format戦争 [気になったものアレコレ]
先週土曜の夜、翌日に迫ったマラソンの最終調整に出ようかというとき、NHKのニュースで唐突に流れたのが「東芝HD DVD撤退で調整」。裏事情はこちらの記事にあるようにいろいろありそうだが、要するに2002年のBDフォーラム設立から5年、製品発売から4年、両陣営ハード発売からは約2年で今回のformat戦争は終結したということ。2004年のCEATECでの両陣営の試作機をブログでも書いたりしていたが、その時点では、その後登場するPS3であっさりカタがつくと思っていたのだがPS3の思わぬ不振で長引きそうな気配になっていました。東芝陣営には負けたら土下座するとまでおっしゃる藤井さんという方もいていろんな意味で注目されておりました。が、急転、ハリウッド勢の雄、ワーナーがBDへ転向したのをうけて決着へ。東芝からすれば「まさか」のワーナーショックだったようですが、そういう東芝さんもかつてのVHSvsベータの時にはベータ陣営からVHSへ転向し趨勢を決める動きをしています。
いくつかのformat戦争をまとめてみました。(赤い部分が戦争での敗者)
どこも勝ったり負けたりですねえ。この手の話が出るといつも引き合いに出されるS社もわりと勝率はいいようです。M社もDCCとかではあっさり負けているし、T社なんかDVDくらいしか勝ってない。さらに、ここにある規格のほどんどがもう過去のものになっているのもわかります。消耗戦的な規格争いをして、最初の数年を戦い、その後6~7年はいい商売できるけど結局次に規格の争いへというサイクルを繰り返しているのはどうかなと思います。技術者同士で規格統一をさせようという構図がよろしくないんでしょうなあ。今回の次世代DVDでもさきほどの藤井さんとS社の久夛良木さんが規格統一に動いた会談というのは見てみたかったです。実は二人の間では規格統一で合意し握手したらしいんですね。その後交渉は不調に終わり、分裂へということらしいです。
そう思うと1980年代初頭からいまだ現役のCDってすごいですね。
東京マラソン ありがとうございました その5 ゴールへ [東京マラソン挑戦]
佃大橋をこえると豊洲へ。お仕事で関わった商業施設(キッザニア&イオン)×2を横目に見ながら歩を進めます。家族が最後の応援に来てくれました。遠くからでも家族の姿ってわかるものですねえ。イオンSCの中レストラン、今月はじめに長男君の受験の日にあそこから見た風景でした。今は笑い話にできますが、あの日は暗かったなあ、などと思いつつ、あと3キロ。
こうなってくると、なんだかこれで終わるのがちょっと惜しい気がしてきました。
あと、3キロはじっくり味わいながら走ろうと。そうそう、会社の同僚君も応援に来てくれました。豊洲駅南くらいで。ありがとうね。さあ、東雲で右折するといよいよ最終盤です。
残り1キロ手前でいたボランティアのお姉さん達。ボランティア代表で登場してもらいます。この寒空の下で準備から7~8時間もの間、奉仕いただいた上に声援まで・・・(涙) 「ほんとにありがとうございます」来年は走れなくってもボランティアしますよ。
さて、いよいよフィニッシュ近くなってきました。
この橋を渡りきり左に曲がると数百メートルでゴールです。この時点で6時間10分過ぎ。制限時間は大丈夫、後はじっくり行きましょう。そして、きましたフィニッシュ。
ようやくゴールです。6時間27分47秒。フーッ。やったぞぉ。走りきったぞぉ。
たまたま近くにガレッジセールの川田君がゴールしてました。おかげでテレビ中継にもゴールシーンが写っておりました。ラッキーです。欽ちゃんも迎えに来てくれましたがこれは川田君へ、でした。
この後は完走メダルをかけてもらい、荷物引渡し場所へ。
前回の反省からかこの荷物受け渡しも超スムーズ。あっという間に渡してくれました。この後、家族と合流。足を引きずりながら家路へ。お疲れ様でした。
あ、このエントリー読んでいただいたり、コメントいただけた皆様、ありがとうございました。
来年は皆さんも東京マラソン出てみませんか。人生変わりますよ。
東京マラソン ありがとうございました その4 [東京マラソン挑戦]
前のエントリーにも書きましたが、茅場町→水天宮→東日本橋→蔵前→浅草、距離にして24キロから28キロ付近。このへんが一番しんどい区間でした。周りはほとんど歩いています。沿道の皆さんの声援はひっきりなし、チョコやお饅頭、飲み物、はてはスープまでの私設エイドが沢山で、頑張れるはずの区間なんですが、足がいうこと聞きません。歩けば歩ける、でも走ろうとするとどうにも痛い、足があがらない。
それが人間不思議なもので・・・30キロを超えるとなんだか足が動き始めます。家族の前だから走れてた、はずが、じわじわ距離が伸ばせていきます。茅場町を過ぎてのエイドでは待望のバナナやアンパンも。(昨年の反省からバナナは大量にありました)二度目の中央通り、日本橋→銀座は足が動きました。そして歌舞伎座前へ。ここで偶然の出会い。沿道の応援の方の中に会社の先輩Nさんが。おおっ!「ありがとうございます!」
そして築地→新富町で出合って黒砂糖(だったでしょうか)をいただけた沿道の方が巻かれてたのがJEFのニットマフラー。思わず「これJEFですよね?」そうでした。その方もJEFサポにサポートしたくってされてた感じで「はいっそうです」とお連れの方と喜んでいただけた様子でした。「ありがとう」の一言いえずに走り始めてしまいました。これで力をいただけましたよ。この場でお礼。
こうやって偶然の出会い×2件で力をいただき、後半の難所、佃大橋にかかります。ここは道路の構造上、歩道がなくなる=声援なくなる、場所です。しかもダラーっとした上り坂。これはきついなあ、と思ったそのとき、空のほうで声援「がんばれー」、あれ、周囲のランナーみんな見上げます。左上空に見えたのはマンションのベランダから声援を送ってくれる親子の姿、よく見るとあと数軒。さすが東京。ランナー一同手を振って応えます。
そうこうするうちに佃大橋も中ほどに、歩道が現れるとすぐに応援の方が見えてきます。ありがたいなあ。
この日はいったい何人のかたの がんばれー を聞いたんだろう。
日本は がんばれ の国なんですね。
こっちも何回 ありがとう と言ったのか。
たぶん今まで生きてきた日々の中でいちばんその言葉を言った日ですよ。
佃大橋を渡り終えようとするとお台場の景色が見えてきます。観覧車、デックス。この景色も2000年からの数年、仕事帰りの深夜のタクシーの窓から何度も見た景色です。
ゴールは近いぞ。このエントリー、感動の最終話へと続く。
東京マラソン ありがとうございました その3 [東京マラソン挑戦]
品川の手前で15キロ、そこから折り返して日比谷の手前で20キロ。文字にすると簡単ですが、ここらへんからきつくなりました。そもそも、この数ヶ月の練習の中での最長距離が15キロ。ということは品川越えてからの道のりはまさに未知との遭遇状態です。今回、初マラソン挑戦にあたって心配事は、(1)エネルギー切れ、(2)故障、(3)モチベーション切れ、の三つでした。ここでは、(1)っぽいかなあ。事前に用意してあった栄養補給材を摂取。どうにか走り続けます。ここで20キロ付近で我が家のママさん、子ども達が応援に来てくれることが判明。携帯電話っていいですねえ、マラソンと携帯電話ってありえない組み合わせですが、この時間帯のランナーだとありえますね。こうやって親子が出会えるのにも「ありがとうございます」 この画像は日比谷付近を走る私です。(わかりますか)
その先、有楽町~銀座~日本橋と東京マラソンのハイライトです。
東京マラソン ありがとうございました その2 [東京マラソン挑戦]
9:27 ようやくスタート地点へ到達。ここから今回のマラソンが始まります。前回はここからもう感動しっぱなしだったです。大ガードあたりまでの大声援で全開で走っていきました。が、今回は慎重に慎重に。歌舞伎町の入り口で東京六大学の応援団が声援をくれます。今年は法政大学のチャンス!法政、でした。思わず口ずさむ。♪チャンス!チャンス!チャンス!ホウセイ!
この辺は学生時代の自堕落な日々が思い出されます。新入生歓迎コンパで酔いつぶれた同級生を救急車で運んだり、早慶戦後の大混乱な夜、大学ラグビー日本一になった夜・・・大人になってもこの街に来るとダメダメになってしまう自分を思い出します。
さて、それはそれで、先へ参りましょう。市谷、飯田橋へと向かいます。この辺も、いろいろありますなあ。あのビル、あの頃仕事で来たぞ。緊張してたなあ、だって先方の社長にプレゼンだったし、とか。あそこを左に曲がって坂を上るとDNPさん、なんてね。今回のコースでいくつそういうポイントに出会えるのでしょう。
竹橋、皇居前、日比谷と過ぎて10キロ経過。ここまでが昨年のコース。昨年も十分満足感あったんです。でも、ここから先へ行くランナーを見て、物足りなさを感じてこの日の自分がいます。その割には練習不足でここに来てしまいました。さあ、どうなる、自分。行ったろかい!
でも、そこからがきつかった。芝公園手前で一回目のトイレ休憩。この辺は余裕、余裕。約10分でコース復帰。さあ、行くぞと思ってから増上寺、田町駅前。このあたりがきついかなと思ってた割には意外に快調。だがしかし、田町から品川あたりが単調。泉岳寺って何よ、もう品川じゃないの?(知ってますけど) この辺は往復コースなので行きは右側車線を走ります。右側から沿道の声援が聞こえます。「がんばれーーー」「おとうさん、がんばれー」 あ、俺? ありがたいです。品川の手前に15キロの関門があります。この制限時間は余裕でしたが、あまり安心できる時間でもありません。声援を頼りに走っていきましょう。そう思うとほんとにありがたい声が聞こえてきます。沿道にいるボランティアの皆さんともハイタッチが始まります。この先、一体、何人の方とハイタッチしたことやら。
そして2時間過ぎにようやく品川の折返点(中間点よりはずいぶん手前)が見えてきました。実は毎日通っているオフィスはこの画像の中にあるのです。長年見慣れた風景ですが車道からこういうふうに走りながら見るのは初めてです。感慨深いですが、今はそれどころでもないっす。
さあ、ここから東京マラソンも中盤です。きっつー・・・・
東京マラソン ありがとうございました その3へ
東京マラソン ありがとうございました その1 [東京マラソン挑戦]
ありがとうございました。
まさにそういう感じでした。脚はしんどかったんですが、最後の5キロくらいからは「あ、もう終わっちゃうなあ。」という感覚になりました。6時間27分47秒。楽しい楽しい時間でした。脚はしんどかったけど(くどいか)
以下、当日を振り返ってみます。
5:30 寝坊な自分だが、この日はパッと目覚める。昨夜、カーボローディングということでパスタ他の夕食を終えて22時には床につく。ここ数日、若干風邪気味だったり、胃腸系が具合悪かったりで二日続けてひたすら睡眠時間を稼ぐという方法で回復を図ったが、この夜も、ほぼ熟睡。思わず「ありがとうございました」という言葉が浮かぶ。誰に対してじゃないけど。そしてカーテンを開ける。快晴、快晴、快晴。昨年の大雨を思うとまたまた「ありがとうございます」。
6:30 テーピング、朝食(パン、ウィダーインゼリー等)を終えて自宅を出発。わざわざ家族総出で見送ってくれました。withアンディ。「ありがとうございます」7時ちょい前の東京メトロ東西線にて、一路新宿へ。すでに車内には数名の同胞が。ついつい会釈してしまいます。足元、シューズの計測チップ。みなさん、なんとなく右足シューズにつけてますね、私もですが。
7:40 新宿着。昨年は初のマラソンで、何をどこでどう準備して、どうすればよいのかまったくわからず不安でしたが、今年は勝手知ったる大会(偉そうですか)なので余裕綽々。前回同様NSビルのロビーを拝借してゼッケン装着、ワセリン塗布、着てきた上着を荷物預け用の袋に入れる等の準備を着々とすます。今回mixiのオレンジリボンも装着。このロビーには団体でチャレンジの方々やエキスパートと思しき方々。(ゼッケンの頭にスタート順が早いAとかBとかの記号ある方々)この方々に影響されてはいけません。ウォーミングアップなんぞ素人ランナーには不要です。したところでスタート場所で40~50分またされますし。最初の5キロぐらいがウォーミングアップのつもりでいいみたいです。
8:20 余裕で準備のはずでしたが、やっぱ東京マラソン。NSビルから荷物を預けるトラックまでの道が人、人でなかなか進めませんでした。締め切り10分前に荷物預け完了。ふーっ。次に自分のスタートブロックへ。今回のブロックはJブロック。エントリー時の申告タイム順にA~Jまでのスタートブロックが割り振られます。申告タイムっても初フルマラソンですからね。わかりません。とりあえず、昨年お知り合いが初フルで5時間40分程度。練習量も同じくらいとうかがってましたので5時間45分と書いておきました。そしたら最後尾のブロックへ。昨年の10キロの時は、Hブロックでフルマラソンのマイペースの方々をバンバン追い抜くイメージでしたが、今年はこっちがマイペース。まあ、スタート順は関係ないです。さてJブロックですが、このマラソン、スタートは都庁前、と聞いておりますが遠いです。
無事ゴールできました。
いやぁー疲れました。でも沿道の皆さんから力をいただき走りきれました。
って、ホントかなって思いますよね。でもホントなんです。そのあたりはまた明日詳しく。
まずはありがとうございました。
行ってきます!
スタート時間まであと30分になりました。荷物を預けスタート場所に整列。快晴の下、スタートできる喜びをかみしめています!行ってきます!楽しんできます!