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震災から一夜明けて 地域の絆 [いわゆる日記]

震災翌朝、会社から帰ってきました。バスを堀江中学バス停で降りて我が家へ。あれ?なんてことない?と思いながら歩いてきました。通称「段差道路」を超えてヤオコー前にきたらなんだか騒がしい。地面が泥だらけだよ。なんで?ひょっとしてこれが液状化の影響。あれれ。我が家に来てみたら玄関付近がこんなことに。

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震災2.jpg隣家との堺の壁がやられてました。玄関アプローチのタイルも粉々だったりとちょっとメゲる光景。そしてそれ以上にやられたのが自宅前の道路。うわあ、ひび割れじゃん。そして側溝と道路が5センチいや10センチちかく上下にずれているのを見て絶句。

 

 

 

 

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ところが液状化はそんな生易しいものではなかった。これわかります?自転車が泥に埋まってます。どこからともなく泥と水が湧き出てきてあたりと埋め尽くしました。我が家のお隣、周辺住居でも大変なことになっていました。市内特に新町といわれる埋立地はこれがそこらじゅうでおきていました。幹線道路もそこらじゅうでぼこぼこ。写真を撮る余裕はなかったのですがマンホールがぼっこり1メートルちかう隆起してしまった光景も。

 

 

 

 

震災3.jpgなんとかせねばなりません。うちの近所で特にひどかったのがAさんち。うちのママさんを持病の病院に送った後、ご家族が泥かきをしてるのを見ました。とてもご家族で終わりそうな按配ではない。一家総出で応援に。そうこうするとご近所皆さんが出てきましたよ。泥をとってビニール袋に入れていきます。

 

 

 

 

震災5.jpgそしたらご近所のスーパーの泥かきにこられていた業者さんがついでにもって行ってくれるってお話。ありがとうございます。感謝!翌朝までかかって積み込ませてもらいました。かつては毎日のように会ってたご近所さんとその子供たち、大きくなってしばらくぶりにお会いするけどみんないい子達になってた。うれしいね。ぐっときちゃった。

 

 


震災から一夜明けて 浦安へ帰るぞ [いわゆる日記]

震災という実感がしてきました、3月11日から日付が変わってオフィスで過ごした夜、余震が続き、そのたびに緊急地震速報の音。携帯電話に、テレビに。そして揺れが来る。絶望感に襲われます。でもね、ここには仲間がいる。励ましあいながら夜をすごせます。そして911や阪神大震災のときと違ったのはネットが生きてるってこと。TwitterがFacebookがこんなに役立つってなあ。特にTwitterはありがたかった。リロードするたびに新たな情報や仲間の動向、困っている知人の様子、なにより浦安の仲間からのTwitterがほんとに頼もしかった。地震当日の深夜、鉄道の復旧状況が伝えられます。東京都営とメトロの復旧がはやい。猪瀬さん、がんばってるなあ。私は今回は慎重に対処するつもりです。おそらくこの日だけのことではすまないという予感がするからです。これから数日間は対処に追われると思いました。幸い、会社には備蓄の食糧(アルファ化米や水、パンなど)があり、空調も水も大丈夫でしたので体力を温存し、翌日3/12土曜の早朝、6時頃帰宅の途につきました。都営浅草線と東京メトロ東西線が動いてるのでこの路線で帰ることに。ただオフィス最寄の品川と都営浅草線の泉岳寺は連絡してないようですので高輪台まで歩きます。この間の路は地震があったと思えないくらいの静かさ。不謹慎だけど二日酔いの朝帰りみたいです。高輪台で10分ほど電車待ち到着した押上行きに乗車。ほぼ満員。泉岳寺、大門と続々乗車です。超満員で日本橋。ここから東西線へ。

東西線も超満員。終戦直後の復員列車とか買出し列車ってこういうことだったと思いつつ汗だくで浦安到着。帰ってきたぞぉー!駅周辺は東京ディズニーで一夜を過ごした人たちでわんさかです。我が家へは歩いて帰るつもりでしたが幸運にもベイシティバスの9番舞浜駅行きに乗れました。浦安の町は見たところ変わりありません。大丈夫じゃん、と思いつつ自宅へ・・・・


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