看板建築 [いわゆる日記]
ここんところ会社の帰りや外出先からの帰り道をぶらぶら散歩しております。ウォーキングとまではいかないですが知ってそうで知らない街を歩くのは楽しいもんです。そんな中で前から気になってた建物の種類があります。
こんな銅板で覆われた家屋。
(佃島で発見した銅板タイプとモルタルタイプ)
日本家屋なんですが道路に面した側が高くなっているタイプ。一般民家というよりは商売をしている家屋ですね。建てられたのは戦後?それとももっと古い?なんて疑問をもっていました。
とある日、ネットで検索してみると「看板建築」なる名称で呼ばれる建物群らしい。名付けたのは藤森照信さん。建築探偵シリーズの著書は結構読ませてらっています。
Wikipediaによれば
看板建築とは関東大震災後、商店などに用いられた建築様式。建築史家藤森照信が命名したもの。
典型的なものは木造2階建ての店舗兼住宅で、建物前面を平坦として(軒を前面に出さない)モルタルや銅板で仕上げて装飾をつける。ちょうど看板のような平坦な壁を利用して、しばしば自由なデザインが試みられたため、看板建築と命名された。建築物の造作に商店の「看板」を作りつけたものではなく、看板建築の平面は看板・広告スペースとして用いられるものではないことに注意。関東大震災後の東京では、屋根裏部屋を造った例が多い。
藤森さん、「看板建築」なる書籍も出されています。地元図書館にあったので借りてきました。
看板建築なる言葉が生まれたのは昭和50年10月11日。当時、東工大の学生だった藤森さんが日本建築学会大会で発表しちゃったことから。(藤森さん、著書の中は~アカデミーの世界では、何も知らない学生なんかが勝手にネーミングなんかをしてはいけない。そういうことはもっとエライ人の仕事である。~なんて書いておられます)
この本によれば関東大震災からの復興期、区画整理を経て都市部にできた建築様式。しかし銀座や日本橋なんていう中心部はアールデコ形式の4~5階建てのビルに、その周辺部に木造のこれら看板建築が建ったそうです。そして東京大空襲。これにより焼けてしまった地域と残った区域がばらばらと分布することになり、さらにバブル期の再開発等でさらに淘汰されていって現在に至るのです。
こんな経緯なので散歩してて突然古い商店がぽつりぽつり見えてきたら看板建築が登場します。
銅板葺きタイプですね(北品川)
モルタルのタイプ(目白だったかな)
これもモルタル(トーハン本社前)
西荻窪~荻窪間。このへんにも唐突に古い商店街があらわれました。
都内巡るのがまた楽しくなりました。看板建築奥が深そうです。しばし探求してみたいと思います。