震災翌週の日記 自宅待機と計画停電 [いわゆる日記]
3/14(月) 震災後初めての出勤日 [いわゆる日記]
3/14(月)震災後初めての出勤日。
主要路線の半分近くが運休してるから東西線もスゴイ混雑が予想される。でも浦安市民は強風で京葉線よく止まるから練習はばっちりなはず。しかし駅はたいへんでした。入場規制。ホームに入ってからも満員の電車ばかりで乗れません。三本ほど見送ったのちにようやくすき間を見つけて乗り込みますがギューギュー詰め。でも、日本人はこんな時も耐えるのさ。
頑張って大手町まで、その後品川のオフィスへ。一時間ほど早く出たので定時前に到着。いつものメンバーと地震からのことを話し合う間もなく朝から災害対策本部会議です。こんな時に備えてBCP(Business Continue Plan)が準備されてるのだがいざとなると想定とは大きく異なることがわかる。まさか電力逼迫とは。ビジネスアワーのど真ん中三時間の停電、また電車の足が読めない、ガソリンが不足というのもいろいろな業務に響いてくる。そうこうするうちに3時30分で京浜急行が運休との案内。沿線の社員を帰宅させたり、バタバタと動く。幸いほとんどの社員の安全は確認できている。(その後全員安全確認) あっという間に再開初日終了。
3/13(日) 地震から3日目 [いわゆる日記]
3/13(日) 地震から3日目。朝7:30から町内の泥かき。昨日とりあえずの作業を終えてあり今朝はトラックに載せるだけ、なんて思ってたが大間違い。まだまだ山の様に泥はある。作業してたらご近所の別のお宅の泥かきヘルプも。すくってもすくってもある泥。こういう日々が続くとやられちゃうんだろうな。着たくしてしばらく休息。(結構な作業でしたが不思議と筋肉痛とかにならず、気が張ってるんでしょうか)
その後、水をもらいに次男君と小学校へ。物置からポリタンクを引っ張り出して行きます。学校は開校一年に満たないピカピカの新設校なんですが校舎と通路にはげしく段差ができてしまってます。列は10人程度。この地区はどうにか水は出てるお宅が多いから助かっています。でもマンションにお住まいの方の中には止まってしまってるところもあるそうです。我が家もちょろちょろですが水は出ました。しかし2階のトイレやお風呂は難しい状況。ポリタンクに水をもらってちょっと一息ですかね。
帰ってくるとしばらく休息。テレビでは三陸を襲った津波の凄惨な映像の繰り返し。地震のあった時から安心して寝れてないし、泥かきや水汲みも結構堪えてる、横になってこの映像浴びてるとヤバい。チカラが失われていく。このままではいけない。行動を開始しよう。
ご近所のスーパーへ行ってみる。昨日は10時開店から2時間近く並んで当座の買い物をしたけど、今日はもう落ち着いてきた。カップ麺も一人2点まで、レジでそれ以上の方のは回収してる。粛々と落ち着いて行動してるよみんな。さすが日本に住む人々だ。
午後は車で新浦安駅まで行ってみることに。途中、湾岸線の立体交差を過ぎたあたりで風景が一変。ライフガーデン(旧パークスクエア)の駐車場は閉鎖、前の道路も隆起してしまっている。そして、富岡交番が傾いている。ショック。言葉がない。新浦安のショッパーズ駐車場は一割も車がいない。ダイエーの食料品売場のみ営業してました。新浦安駅前のこれまたできたばかりのエレベーターもとんでもないことになってます。またまたショック。こんな中、長男君はホワイトデーのお返しの品を購入(結局学校は、長期のお休みになってしまいました)
夜、明日から計画停電なるものが実施されるとの政府からの発表。電車も相当な路線が運休、京葉線も止まる模様。東海道線もだって。そうとう電力事情は逼迫してるようだ。